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化け猫あんずちゃんを観ました&読みました

 

 

映画を公開初日に観に行って「面白かった〜」ってなって、その翌日 原作漫画が無料公開されてる(※現在は終了)のを知って読んだら「えっ…!?」ってなって、それから初回鑑賞の1週間後に映画をまた観に行きました。

 

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映画のあらすじは……

借金取りに追われる父に連れられて、東京から南伊豆の池照町 (いけてるちょう) にやって来た少女・かりん(小5)。父の実家である寺に身を置き、祖父の世話になることになったのだが、そこには言葉を話し、2本足で歩いてバイクの運転までする化け猫・あんずちゃん(※オス)が暮らしていた。当初はその異様な存在に戸惑うがすぐに慣れ、現地の小学生男子や職探しに苦労する中年男性(よっちゃん)、さらには森に住む妖怪たちとも出会い、それなりに楽しくも漫然と日々を過ごすかりん。しかし、約束していた母親の命日になっても、父はかりんを迎えに来なかった。痺れを切らしたかりんはあんずちゃんと一緒に父を探しに、そして母の墓参りのために東京へ向かう。

……みたいな感じ。

 

タイトルは「化け猫あんずちゃん」だけど、映画の実質的な主人公はかりんの方と言ってもいいと思う。

この2人(?)の関係はドラえもんのび太、キテレツとコロ助、Q太郎と正ちゃん……のような、一連の藤子不二雄作品に似てる気がした。(ただ、藤子作品では「主人公が暮らしているところにマスコット的な居候が転がり込んでくる」のに対して、本作では逆に「あんずちゃんが暮らしているところにかりんがやって来る」と、逆の構造になっている)

 

作画面では、ロトスコープでの制作というところが大きな特徴。通常のアニメ作品で一部にだけロトスコープを採用すると、そこだけ妙にヌルヌルしてたり、動きが生々しかったりして違和感があったりすることもあるけど、全編ロトスコープ*1の本作ではそういうことはない。むしろ自然すぎて、言われないとロトスコープでの制作だと気づかない人もいるかもしれない。

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セリフの録音もロトスコープでの実写撮影と同時に行われたようで、これによってより臨場感を感じられたシーンもあったけど、音が籠もって聞こえづらくなってしまってるシーンもわりとあった。全然なに言ってるか分からない……という程ではないものの、ここは少し残念。

 

作品全体の感想としては……かりんちゃんがかわいい! 祖父である和尚さんや森の妖怪たちの前では「いい子」を演じる一方、あんずちゃんや男子2人に対してはけっこう辛辣でスレた一面を隠さない。そんな二面性も含めて魅力的なキャラクターだった。

←ぶりっ子かわいい│ジト目かわいい→

 

……で、観たあとに帰宅してスマホを触ってると、コミックDAYSで原作漫画が無料公開されてる(※現在は終了)のを知った。最終話のみ要ポイントだったけど、これもサイト上でポイ活すればすぐに貯まったので、せっかくだから……と読んでみて、驚いた。

 

かりんちゃんがいない……!?

 

 

原作漫画は、映画の前半、かりんちゃんが池照町で過ごすエピソード群からかりんちゃんの存在を消したような……いや逆だわ。原作漫画のエピソードを再構成して、そこにオリジナルキャラであるかりんちゃんの存在を(違和感なく)加えたのが「映画『化け猫あんずちゃん』」(の前半)なんだわ。

 

こういうフォーマットって、なんか覚えがあるような……と考えてみて、思い至ったのはアレ。

ほら、昔アニメのゲーム化……いわゆる「キャラゲー」でよくあった「アニメ(等の原作)のストーリーをそのままゲームに落とし込む」んじゃなくて、「ゲームオリジナルの主人公を登場させて、そのキャラの視点でアニメのストーリーを追体験させる」みたいなやつだ(で、プレーヤーの選択によっては「if」のストーリーも……みたいな)。

「よくあった」とか書いといて、「自分で過去にそういうのを遊んだ」という具体例が挙げられないんだけど……。あ、自分は未プレイだけど、最近 ファミ通.com の記事で読んだ PS2NANA はまさにこのフォーマットっぽい。

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かりんの存在以外にも細かい差異はいくつもあるけど、一番大きいのは和尚さんの奥さん(おかみさん)の存在。原作漫画では普通にレギュラーキャラだけど、映画本編には一切登場しない。あんずちゃんが化け猫ではなく普通の猫だった頃の回想シーンには姿が映っているが、その直後のシーンでは病床に臥せっているような写真が出てきている。劇中で特に明言はされないが、早くに亡くなってしまった設定になっているのかもしれない。

(左から)原作漫画 第2話、映画の回想シーン、意味深な写真

 

あと、和尚さんの息子、かりんの父親である哲也。おかみさんとは逆に、原作漫画ではこちらが最後まで本編に登場しない。物語冒頭の回想シーンに出てきて、「何年も前に『プロレスラーになる』と出て行ったきり帰ってこない」という背景が語られるのみである。すごく伏線っぽい気がするんだけど……掲載誌であるコミックボンボンが連載中に休刊になってしまって、登場させる機会がなくなってしまったのだろうか……?

で、映画の方だと、家を出て行った理由については特に触れられない。かりんを連れて突然帰ってきたかと思ったら、父に金の無心……。どっちも親不孝感がすごい。一応は帰ってきて、孫の顔を見せただけ映画の方が…………いや、うーん……。

 

 

映画の後半は、かりんとあんずちゃんの2人(?)で東京を訪れて、なんやかんやあって地獄にいるというかりんの母に会いに行く……という完全なオリジナル展開。のんびりとした前半とは打って変わって、あんずちゃんの(原作には登場しない)意外な姿、首都高でのカーチェイスと目まぐるしい展開が続く。さっき名前を出したドラえもんで例えるなら、前半がTVシリーズ(日常回)だとすると、後半はまさしく「劇場版」。

 

死んだ母に会いにあの世へ……というと、イザナギイザナミの神話(母じゃないけど)や、最近だと「君たちはどう生きるか」なんかを思い出す。『異界』を訪れるというのは、物語におけるひとつの類型ではある……いや、よく考えたら映画の前半で既に『異界』を訪れてるんだわ、かりんちゃんの視点だと。「池照町」という異界に。

 

化け猫であるあんずちゃんが普通に暮らす。警官に呼び止められた……かと思ったら「無免許運転はダメだよ」とたしなめられて解放される(そもそも免許が取れるのか…?*2)。明らかに異様な姿の妖怪たちがゴルフ場でキャディーのバイトをしている。……それが池照町。

そんなあんずちゃんや妖怪たちだが、外から来た『よそ者』であるかりんの身の上話を聞いてもらい泣きをしたり、「かりんちゃんのためにお金を貯めよう」とバイトを始めたり、なかなか就職できないよっちゃんのために親身になったり、かりんが行方不明になったら夜遅くまで探し回ったりと、人間以上に人間臭い存在としても描かれている。

(普通にバイトしてる……)

 

普通に「そういう世界観の作品なんだ〜」と思って観ていると、後半の舞台である東京はそうではないことに気付く。妖怪なんて出てこない(例外として、超常的な存在は1人(?)登場するけど、普通の人間には感知できない)。まさに『現実』そのままの東京として描かれている。

 

せっかく訪れた東京でも(詳しくは書かないけど)かりんは散々な目に遭う。父の行方も知れず、池照町の妖怪たちのように親身になってくれる人は誰もいない。失意のかりんは、かつて親しかったある人物に会いに行くが……(同じく詳しくは書かない)。この点でも対比を見て取れる。

原作の舞台である池照町から見ると東京は、そして映画オリジナルパートの舞台である東京から見ると池照町は、互いに『異界』である……という構造を見出すことができる。

 

そして、もうひとつの『異界』である地獄。一見、東京と同じように整然とした世界のようだが……そこは地獄は地獄。住人である鬼たちと彼らのボスである閻魔大王の行動原理は、まさにヤクザのそれである。

(……ところで、「かりんの母親はなぜ天国ではなく地獄にいたのか」というのはすごく気になる。そんな悪人だとはとても思えないんだけど……。ただ、責め苦を受けていたわけではなく、清掃の仕事に従事させられてたから、扱いとしてはまだマシな方だったりするんだろうか。「余程の善人でないと天国には行けない」みたいな設定なのだろうか……??)

 

 

映画のジャンルも、舞台の移り変わりとともに目まぐるしく変化してゆく。池照町ではのんびりとした田舎の日常を描いた……なんて言えばいいんだ、ヒューマンドラマ? コメディ? ……で、東京ではロードムービー、そこから向かった地獄ではスパイ映画ばりの潜入ミッション、再び東京に戻ってきたらアクション大作顔負けのカーチェイス(ヤクザ映画のテイストも若干ある)。

(ところで、地獄から東京に戻ってきた後は、カーチェイスやらなにやら かなりしっちゃかめっちゃかにやらかしてたけど、後始末は大丈夫なんだろうか? 物損もあったし、目撃者もかなりいたはずだが……。こういう時は「目撃者の記憶を消す」というのが定番だけど、閻魔大王の力をもってすればそれくらいは難なく処理できるんだろうか)

 

 

そしてキャラクターデザインの面でも、原作漫画から登場する池照町の住人たちと、(「池照町の外(東京)から来た部外者」、「原作漫画の外の世界から来たオリキャラ」という二重の意味で)アウトサイダーであるかりんとでは明確に異なっている。

 

原作から登場するキャラは、もちろん基本的に原作に準拠したキャラデザになっている(全体的にやや頭身は高くなっているが)。

一方、オリキャラであるかりん。目はぱっちりと大きくて「美少女」と形容してもいいくらい(実際、劇中でも小学生男子2人が手玉に取られている)。彼女は「原作漫画に登場しそう」……にないキャラデザである。

 

恐らく、久野遥子監督自身の画風の延長なのだろう。少し前にやってたマクドナルドと魔女の宅急便のコラボCMのキキに、かりんちゃんの面影を感じる。

(あんずちゃん初回鑑賞後にWikipediaの久野監督の項目を見て「同じ人だったの!? ……言われてみれば確かに似てる…」って驚いたんですけど…)

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……思ったより長くなってしまった。

 

まとめると……映画「化け猫あんずちゃん」は、もちろん単体でもすごく面白い作品である。あんずちゃんや妖怪たちは小さい子供にも受け入れられるキャッチーなキャラクターだし、人情話や親子愛とかのホロっと来る要素もあるし、かりんちゃんはかわいい。様々なジャンルを内包していて、いろんな客層・年齢層に刺さる映画だと思う。

その上で「かりんちゃんを始め、原作漫画からすると『異物』であるオリジナル要素が存在していて、それらが原作由来の要素と対立することなく同居している」という構造を意識すると、より楽しめる……と思いました(小並感)。よく考えたら、ロトスコープ自体が二次元と三次元という『異次元』を融合させる制作手法だしね。

 

 

最後に関連情報まとめ。

原作漫画は  Kindle を始め、各種電子書籍サイトで配信中。紙の本は……今のところ増刷予定はないらしい。……えーっ、映画化という絶好の機会なのに!?

で、映画化に伴って、原作漫画の17年ぶりの続編がコミックDAYSで連載開始された。今なら無料で追いかけられます。映画のストーリーの続きではないので要注意。

鈴木慶一による音楽も魅力的な本作だけど、サントラについては今のところ特にアナウンスはない。……まあ、まさか出ないということはないと思うので、気長に情報を待とう。

佐藤千亜妃による主題歌「またたび」は配信中

映画「化け猫あんずちゃん」は、全国の劇場で公開中です。

 

 

*1:一部、ロトスコープを用いていない完全手描きのシーンもある

*2:普通に取れることが原作漫画の続編で明らかになった。