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【青ブタ】ランドセルガールを観ました

12月1日に公開された劇場用アニメ『青春ブタ野郎はランドセルガールの夢を見ない』を観た。現時点で2回鑑賞(12/1 と 12/2)。

 

原作小説は何ヶ月も前に購入してるけど、敢えて読んでなかった。近々読み始めると思うけど、読んでしまうと(これまでの青ブタシリーズでそうだったように)アニメの方の印象も変わってしまう気がするので、現時点での感想を書き留めておく。

 

※以下、ネタバレを含みます(クリックで展開)

 

 

あらすじ的なもの

(記憶を頼りに書いてるので間違いがあるかもしれない…。気づいたらその都度修正します)

 

3月。主人公・梓川あずさがわ咲太さくたの妹、花楓(かえで)の記憶が回復して数ヶ月。心配されていた彼女の進路も決まり、咲太は久々に穏やかな日々を過ごしていた。

 

そんなある日、父から連絡が入る。

「母さんが『花楓に会いたい』と言っている」

2年前、いじめをきっかけに不登校に、そして記憶を失って解離性同一性障害になってしまった花楓を受け容れきれず、自らも心を病んで入院してしまった母。父はそんな妻を看病するために子供たちとは別居し、咲太と花楓は2人で暮らしていた。

 

数日後、咲太と花楓は電車に乗って父が暮らす社宅に向かった。緊張しつつ家に上がり、母に歩み寄る花楓。二人はお互いに涙を流し、2年ぶりの再開を果たす。

その日は家族4人で団欒の時を過ごし、夜には食卓を囲んだ。母は「今日は泊まっていけばいいじゃない」と言うが、翌日も学校がある咲太は、花楓を残し一人で帰宅する。

 

翌朝。いつものように登校した咲太が、自らの身に起きている異常に気付くのに時間はかからなかった。

教師にもクラスメイトにも咲太の声が聞こえず、姿も見えていない。それどころか、最初からそんな人間はこのクラスに存在していなかったかのように振る舞っている。学校中の教室のドアを片っ端から開けて回ったが、誰一人として咲太の存在に気付くものはいない。

……咲太は、かつてこれと同じ状況を経験していた。それは1年近く前、恋人である桜島麻衣の身に起きた「思春期症候群」に酷似していた。

 

昨日までと今日とでなにか変わったことと言えば……そうだ、母に会いに行ったことだ。咲太は学校を抜け出し、再び母のもとへ向かう。

父の社宅まであと少し……というところで、ちょうど買い物に出かける母と花楓に出会った。……が、2人はやはり咲太の存在に気づかない。談笑しながら、咲太のすぐ横を通り過ぎてしまった。

 

途方に暮れ、夜の七里ヶ浜海岸に立ち尽くす咲太。するとそこに、ランドセルを背負った、幼い頃の桜島麻衣によく似た少女が現れる。

「おじさん、迷子?」

咲太はなすがままに、少女に手を引かれて、目的地もわからぬまま電車に乗り込んだ。そして……。

 

「お兄ちゃん、朝だよ!」

花楓の声で目が覚める。咲太はいつの間にか自宅のベッドの上にいた。……が、なにか違和感がある。キッチンへ向かうと母が作った朝食がテーブルの上に並び、父も座っていた。

そこは、咲太が起こした行動によって花楓のいじめ問題が解決し、花楓は不登校にも解離性同一性障害にもならず、そして母も心を病むことはなく、親子が離れて暮らすこともなかった「もうひとつの可能性の世界」だった。

 

 

感想

なんていうか……いろいろ釈然としない……。

 

なぜ咲太がこんな目に遭わなくてはならないのか

これまでの青ブタシリーズは「各章のヒロインに起こった思春期症候群(『思春期特有の不安定な心が引き起こす不可解な現象』を指す、青ブタ独自の用語)に巻き込まれた咲太が、それを解決するために奔走する」という流れがお決まりであった(例外となるエピソードも割とあるが…)。

今作ではそれまでと違い、咲太自身の身に思春期症候群が降りかかる*1

咲太は「母に会いに行った日、半日も一緒に過ごしたのに一度も目が合わなかった、一度も直接言葉を交わさなかった、一度も名前を呼んでもらえなかった。なのに、その違和感にすぐには気付かなかった」こと、そして「この2年の間、母のことを忘れていた、考えないようにしていた」ことが原因なのだと考えた。

 

もし本当に、そのことを思春期症候群を引き起こすほど気に病んだのだとしたら、あまりにも自罰的すぎるよ、咲太……。だって……しょうがなかったじゃん……。咲太はこの2年の間、『かえで』と向き合ってあげなくちゃならなかったんだから……。

 

2年前、家族や友人についての一切の記憶をなくしてしまった『花楓』の身体に生まれた新たな人格、『かえで』。性格も、口調も、利き手さえ変わってしまった娘に両親は戸惑い、「ゆっくりでいいから良くなってくれ」と言葉をかける。もし我が子の身に同じ事が起きたら、『花楓』の両親でなくとも同じように戸惑い、似たような言葉をかけるかもしれない。だが、それは『かえで』にとっては「今のお前は『良くない』」「『元のお前』に戻ってくれ」という、拒絶の言葉にほかならなかった。

 

咲太も当初は両親と同じように戸惑い、別人のようになってしまった妹とどう接すればいいのか悩んだ。しかし、それまでの『花楓』としてではなく、いま目の前にいる『かえで』をひとりの人格だと認めて、彼女の「お兄ちゃん」になろうと決めた。こうして咲太は『かえで』にとって世界でただ一人の理解者になり、『かえで』にとって「咲太の妹であること」が自らの存在理由となった。

 

一方、会社員の父や中学生の咲太とは違い、専業主婦である母は日中も家にいて、一日の時間の大半を不登校『かえで』と過ごした。その結果、精神的に疲弊してしまい、ついには心を病んで入院することになってしまう。妻に付き添うため、父は子供たちとは別居することになった。こうして咲太と『かえで』、二人で暮らす新しい生活が始まった。

 

生まれ育った横浜から、進学した咲太の高校に近い藤沢の街に引っ越した二人。咲太は、不慣れながらも炊事、洗濯、掃除、買い物、その他一切の家事をこなし、家計を助けるためにバイトを始め、もちろん毎日学校にも通った。家から外に出られない『かえで』のために彼女の服、下着、さらには(店員に白い目で見られながらも)生理用品まで買いに行った。読書好きの『かえで』のために図書館まで本を借りに行き、髪が伸びてくれば拙いながらも切り揃えてやった。

 

……こんな毎日を過ごす中で「母の存在を忘れていた、考えないようにしていた」からって、一体誰が責めるっていうんだよ……。『かえで』と二人で過ごす毎日の中で、『かえで』を拒絶した母親のことも考えなければならなかったというのか……?

 

もしこの2年の間、一度も母親の見舞いに……会いに行かなかったのだとしたら、確かにそれは薄情だったかもしれない。

……でも、会いに行って、咲太はどうすればいいんだ? 『花楓』もきっと、そのうち良くなるよ」……みたいな、「お兄ちゃん」である自分を頼って、彼女なりに毎日を必死に生きている『かえで』を裏切るような言葉をかけなければいけないのか……?

(もちろん咲太だって、『花楓』に帰ってきてほしくないわけではなかった。『花楓』『かえで』、彼にとってはどちらも大切な妹だ。記憶が戻り、『花楓』が帰ってくれば、恐らく『かえで』は消えてしまう……。咲太にとっては、そんなジレンマに苛まれた2年間でもあった)

 

それに、そもそも「2年の間、母親のことを考えないようにしていた」というのも事実とは違う。原作小説1巻(バニーガール先輩)にはこう書かれている。

 

「お母さんのこと、恨んでない?」
「そりゃ、恨みましたよ」
 さらっと咲太は本音で答えた。
「親なんだから助けてくれて当たり前だろって思ったし、僕やかえでのことを信じてくれよって思いました」
 けれど、離れて暮らすようになってわかったこともある。たとえば、母親は毎日家で、家族の食事を作って、洗濯をして、風呂やトイレを掃除して、色々な面倒を一手に引き受けてくれていたのだ。それを当たり前のことだと、一緒に暮らしていた頃の咲太は思っていた。
  全部自分でやらなければならなくなって、気づいたことはある。変わったことはある。些細なところで言えば、トイレは座ってするようになった。
 たぶん、母親だって色々と我慢していたことがあったんだと思う。家族に気づいてほしいことだってあったんだと思う。だけど、咲太の前では一言も口に出さなかった。顔にだって出さなかった。「ありがとう」のひとつも要求してこなかった。
  そうした日々の感謝を返せなかったことを考えれば、恨むのも筋違いな気がする。この一年で、咲太はそう思えるようになった。

 

こういう感謝の言葉とか、「元気になってよかった」みたいな言葉を、母に会いに行った日に直接伝えるべきだった……と言えば、そうかもしれないけどさ……。

 

あと、「目が合わなかった」とか「名前を呼んでもらえなかった」って、咲太じゃなくて母親の方の行動じゃん……。なんで咲太が自分を責めなくちゃいけないんだよ……。梓川家みたいなすごく複雑な事情がなくても、たとえ家族でも長い間 顔を合わせてなければ多少のぎこちなさがあってもおかしくないし、再び一緒に暮らすようになれば、それは少しずつ解消されてゆくものだよ……。

 

思春期症候群について

今作で咲太が体験した思春期症候群は2つ。

 

  1. 他の人間から姿が見えず、声も聞こえなくなり、自分の存在がまるで世界から消失したようになってしまう。
  2. 「ランドセルガール」に連れられて「もうひとつの可能性の世界」に行き、そして帰ってきた。

 

ひとつ目の方は、「あらすじ的なもの」でも書いたとおり、桜島麻衣がかつて経験したものに酷似している。朝ドラに主演した子役時代から国民的な知名度を誇る女優でもある彼女は「誰も自分のことを知らない世界に行きたい」と願い、それが形を変えて実現してしまった。また、麻衣の妹・豊浜のどかの場合は優秀な姉に憧れ、それが転じてコンプレックスになり、「姉妹の姿が入れ替わってしまう」という思春期症候群が発症した。

このように、これまでの青ブタシリーズでは「それぞれが抱える悩み」「思春期症候群が引き起こす現象」に関連性が見られた。だが、母親との関係に悩んでいた咲太が体験した思春期症候群が麻衣のものとほぼ同じだったというのは、これまでの不文律から逸脱している。咲太は「母親とどう接すればいいか」ということに悩んでいたのだから、「すべての人間から」ではなく、母親、あるいは家族(両親と花楓)からは認識されなくなる……だったらまだ納得できたかもしれない。

 

ふたつ目の方については、そもそも「ランドセルガール」は何者なのか? なぜ子役時代の麻衣と同じ姿をした少女が咲太の前に現れ、「もうひとつの可能性の世界」へといざなったのか? 彼女は咲太の思春期症候群ではなく、なにか別の要因によって現れたのではないのか? ……などなど、ひとつ目の方以上に謎が多い(今後のシリーズで明らかにされるのだろうか…?)。

 

その他いろいろ

  • 「もうひとつの可能性の世界」で咲太が教室に入ったときのカットで、上里が露骨にイヤそうな顔でこっちを睨んでてワロタ
  • 咲太の家のDVDプレーヤーのリモコン、なんかすごく見覚えがあるけど、もしかして……と思い2回目の鑑賞で注意して見たら、やっぱりPS3のリモコンだった(旧型新型かまでは確認し損ねた テンキーが丸ボタンだったので新型っぽい)。スマホも持ってないし、部活もしてないし、趣味らしい趣味もなさそうだし、浮世離れし過ぎなのでは……と少し心配してたのだが、息抜きにゲームで遊んだりはしてるのかも…?と思うと少し安心した。思えばTVシリーズの回想シーンではPS1で遊んでたし、今作の「もうひとつの可能性の世界」の自室にもPS1はあったし、人並みにゲームは好きだったのかもしれない。
  • エンドロールの「絵コンテ」欄に、増井壮一監督と並んで「片瀬山」という名前があったが、誰かの変名なのだろうか? 青ブタの舞台である藤沢市同名の地名があったり、隣接する鎌倉市同名の湘南モノレールの駅があったりするけど……?
  • 同じくエンドロールの「協力」欄にあった「有限会社マーロウ」。なにかと思ったら、咲太と花楓がおみやげに買って行ったプリンのメーカーなのか。次に藤沢に行くことがあったら買ってこよう(いつになるやら…)。

 

 

追記(2023/12/09 (土))

3回目を観に行った。2回目から1週間あけて、その間にいろいろ考えたりそれをブログにまとめたりしたせいもあってか、わりと自分の中で消化できた気がする。

 

今回の思春期症候群は上で書いた2つ(あと、その前兆のように咲太のへそ付近に新たに出現した傷跡)だけなのかと思ってたが、「両親と離れて暮らすうちに、咲太は次第に母のことを考えなくなる → その咲太の内心にシンクロして、母も咲太のことを考えなくなり、母の中から咲太の存在が消えてしまうというものも起こっていた……ってことなのかな。つまり今作「ランドセルガール」の物語が始まるずっと前から、既に思春期症候群は始まっていた、と。

だから母が父に伝えた言葉は(「花楓と咲太に会いたい」ではなく)「花楓に会いたい」だったし、再会の日に咲太と目が合わなかった、咲太の名前を呼ばなかったのも、思春期症候群によって、既にこの時点で咲太の存在を認識できなくなっていたから……。

のどかの思春期症候群のように「発症した本人だけではなく、強いつながりを持つ人物にも影響を与えてしまう」という例はあったし、この症状はまだ納得できる。……ただ、「母親から認識されなくなる」「この世界の誰からも認識されなくなる」に悪化してしまったのは、やはり釈然としないが……。

 

「咲太のことを認識できなくなったのは、『咲太の思春期症候群』ではなく『母親の思春期症候群』なのではないか…?」とも考えたが、本作のラストシーンで、咲太が母親の前で感謝の言葉を述べることで症状が解消されたことを考えると、やはりこれは『咲太の思春期症候群』なのだろう。
(あと、名前が『思春期症候群』だし……。明確に定義された言葉ではないから、この名前がミスリードであるという可能性もないことはないが……)

 

 

*1:咲太の胸に突如 原因不明の大きな傷ができる……ということはあったが、これは牧之原翔子の思春期症候群に付随して起きた事象だった