6月23日に公開された映画「青春ブタ野郎はおでかけシスターの夢を見ない」。
「アニメ映画が公開されたら、原作とかTVシリーズとか知らなくてもとりあえず行く」というここ数年のルーティーンで観に行ったのだが、自分の人生を変える作品に出会ってしまった。
キャラクターとか、過去のシリーズとのストーリーの繋がりとかほとんどわからないけど、鑑賞後も「とにかくなんだかすごいものを観てしまった」という感触が胸を掴んで放さなかった。
気になって過去のシリーズ(TVアニメ「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」と映画1作目の「青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない」)を観たら、何回も泣いてしまった。
Amazon プライムビデオ: 青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない
Amazon プライムビデオ: 青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない
今までの人生で、アニメや映画を観て「少しウルッときた」くらいのことはあっても、本当に涙を流したことなんて一度もなかったのに……(それどころか、仕事中にふと思い出して泣いてしまったりもしている)。
公開以降、上記の青ブタ過去シリーズと「おでかけシスター」を何周もしている。その度に新たな発見があって、その度に泣いてしまう。
少し前まで考えていたのは、「TVシリーズ最後の『花楓』のキャラ付けは、やりすぎだったんではないか…?」ということ。
『かえで』と『花楓』について(おさらい)
青春ブタ野郎シリーズの主人公・梓川咲太には2人の妹がいる。
1人は、2年前、彼女が中1、咲太が中3の時まで両親との4人家族で暮らしていた『花楓』。
彼女は同級生からSNSによるいじめを受けて学校に行けなくなり、身体に突然 原因不明の切り傷やアザができるという「思春期症候群」を発症。それだけでは終わらず、ある朝 目覚めるとそれまでの記憶がなくなり、咲太や両親、そして自分自身が誰なのかもわからなくなっていた。
このときに生まれたもう1つの人格が『かえで』。
家族や友人のことを何も覚えておらず、性格や口調、歩き方、利き手さえ今までとは変わってしまった『かえで』。そんな状況を父親は受け止めきれず、既に娘のいじめ問題と不登校で疲弊していた母親に至っては、とうとう心を病んで入院してしまった。妻の看病のため、子供たちとは別居することになった父。こうして咲太と『かえで』の二人暮らしが始まった。
当初は両親と同じように戸惑っていたが、それまでの『花楓』としてではなく、いま目の前にいる『かえで』をひとりの人間として受け入れ、彼女の「お兄ちゃん」になろうと決めた咲太。
過去の記憶がなく、周りに誰も知っている人がいない。両親だという人物も「『花楓』はいつ治るのか、『花楓』の記憶はいつ戻るのか」と、目の前の自分ではなく、『それまでの自分』を見ている。そんな孤立無援の状況で唯一の理解者になってくれた咲太に心を開き、『かえで』もまた、彼の「妹」になろうと懸命に努力する。
それから2年。2人の暮らしは平穏に過ぎていったが、その間、『かえで』は家から一歩も外に出ることができなかった。彼女に『花楓』の記憶はなかったが、いじめで受けた心の傷は受け継がれてしまっていたのだ。
10月16日。咲太は『かえで』からある決意を告げられる。彼女が毎日 日記をつけているノートに書かれていたのは「かえでの今年の目標」。様々な項目が並んでいる。家から外に出たい、好きなパンダを見るために動物園に行きたい、そして、学校に行きたい。
数ヶ月前、咲太には彼女ができ、たびたび家を訪れるようになった。他にも新たな友人が何人もできて、以前よりいきいきしているように見える。そんな咲太の姿を見て、『かえで』は自分も変わりたい、このままではいけないと思うようになったのだ。
咲太や彼の友人たちの支えもあって、『かえで』は目標をひとつずつクリアし、ノートに○を付けていく。が、ノートの最後に書かれた目標、「学校へ行く」をクリアするのはとても困難だった。
11月26日の朝。咲太と一緒に何度目かのチャレンジをする『かえで』。しかし、通学路で同級生の姿が目に入ると、足がすくんで動かなくなってしまう。
「どうしてダメなんですか……! なんでかえでは学校に行きたいのに、動いてくれないんですか……!」
ボロボロと涙をこぼす『かえで』。
そんな姿を見て、咲太は声をかける。
「わかった。僕がかえでを学校に行けるようにしてやる。だけど練習の再開はちょっと休憩してから。とっておきの場所でな」
そう言って咲太は、どこへ行くかは告げずに『かえで』を連れ出す。駅まで歩き、電車に乗って着いたのは、『かえで』がずっと行きたがっていた動物園だった。好きだったパンダを生で見ることができ、『かえで』は大喜び。この日は一日中 動物を見て回り、気がつくと空はオレンジ色になっていた。閉園間際に咲太が『かえで』に手渡したのは、動物園の年間パスポートだった。
「これがあれば、毎日だってパンダに会えるぞ」
「何度も来て、かえでは元を取りたいと思います!」
自宅最寄り駅からの帰路、咲太は「近道だ」と言って、普段とは違う道を歩く。そして着いた先は自宅ではなく、夜の中学校だった。校門を乗り越えて中に入り、夜の学校を見て回る2人。
「今日でノートに書いた目標の全部に○が付けられます。……あ、でも、学校はまだ△にしておきます。かえで、明日はお昼の学校に行けるような気がします。明日が楽しみです。明日が待ち遠しいです!」
翌、11月27日、朝。
「かえで、朝だぞ。まだ寝てるのか?」
「……う~ん……。おはよ~、お兄ちゃん。……あれ、お兄ちゃんだよね?」
「………ああ」
「あ〜、足がパンパン」
「……昨日、動物園ではしゃいだからな」
「動物園!? 行ってないよ。お兄ちゃんどうしたの?」
「かえで……お前……」
「あれ…? 私の部屋、こんなだっけ…」
「お前……、『花楓』なのか……?」
「当たり前だよ。もう、お兄ちゃん、なに言ってんの?」
この日 目覚めたのは昨日までの『かえで』ではなく、2年前に記憶を失う前の『花楓』だった。
長々と書いたけど、この動画の方がわかりやすいかもです…(6分弱)
この『花楓』が、あの映画と同じ『花楓』…?
アニメ版 青ブタで描かれた『花楓』の姿には、大きく分けて5つの段階があると思う。
- ① 2年前、同級生からいじめに遭って思春期症候群を発症し、記憶を失う前の、『かえで』になる前の『花楓』。
- ② TVシリーズ最終盤、作中の時間で11月27日以降。『かえで』から元に戻った直後の『花楓』。
- ③ TVシリーズ最終話のエピローグで、退院する際に咲太と会話をしていた『花楓』。
- ④ 前作の映画「青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない」、作中の時間で12月8日から1月6日。退院後、『かえで』と同じように咲太と暮らし始めた『花楓』。
- ⑤ 公開中の映画「青春ブタ野郎はおでかけシスターの夢を見ない」、作中の時間で1月から3月。中学3年生。「進路はどうするのか」という問いに「兄と同じ高校に行きたい」と答え、周囲のサポートを受けながら必死に受験勉強をする『花楓』。
①から⑤の『花楓』はどれも同じ人格で記憶も共通しており、『花楓』と『かえで』のような別人格ではない。が、比べてみると別のキャラクターと言ってもいいくらいの違いがある。
最初に観たのが「おでかけシスター」だった*1ので、自分の『花楓』の第一印象は⑤。
ものすごくリアルな今どきの中学生で、健気で、ひたむきで、しっかりしていて、少しはにかみ屋で、本当に魅力的な「理想の妹」という印象だった。
それから遡ってTVシリーズを観て、『花楓』に戻る前の『かえで』のことを知った。
『花楓』とは打って変わって、無邪気で天真爛漫なお兄ちゃん大好きっ子で「ザ・ラノベの妹」という感じ。
そんな彼女が、傷つきながらも必死に前に進もうとする姿には、本当に何度も泣いた。
①の『花楓』は TVシリーズ 第1話と第4話の回想シーンの中で登場する。
両シーンを合わせても時間にして数十秒、セリフは第1話では「お兄ちゃん……。」、第4話では「いや……。学校行くの、恥ずかしい……」だけなので、これだけで「記憶を失う前の『花楓』がどんな人物だったのか」を推測するのは難しい。
そして、問題の②の『花楓』。
咲太(と視聴者)が「ノートの目標はほとんど達成した。さあ、今日はいよいよ『かえで』と一緒に昼の学校に挑戦だ…!」と思っているタイミングで戻ってきた…………戻ってきてしまった『花楓』。
しかも2年前とは逆に、今度は『かえで』として咲太と過ごした2年間の記憶が失われてしまった。
……が、本人を見ると『花楓』から『かえで』になった時のような混乱した様子はなく、むしろけろっとしている。大事を取って入院すると言われても「私、どこも悪くないと思うんだけどな…」と、不服そうですらある。
咲太はともかく、視聴者が知っているのは『かえで』で、『花楓』がどういう子だったかについては、ほとんど何も知らない。
多くの視聴者は「あの天使のような『かえで』がいなくなって戻ってきた、この生意気な女の子が、元の『花楓』……?」と思ったことだろう。
さらに、TVシリーズの前に「おでかけシスター」を観ていた自分の場合は、それに加えて「え、この『花楓』が、あの⑤の『花楓』と同一人物なのか……???」という混乱もあった。
既に書いたように、自分にとって⑤の『花楓』は「理想の妹」とさえ言える存在。こんな妹が欲しいだけの人生だった…。
『かえで』の人格が消えて戻ってきた『花楓』の第一印象は、クs………いや、流石に言葉が強すぎるので自重しておく。……とにかく生意気で、「おでかけシスター」の『花楓』とは似ても似つかない。激しく動揺している咲太や、「記憶が戻った」との連絡に駆けつけて感極まっている父親など意に介さず、けろっとしている。
……というようなことに気づいて、記事冒頭の
「TVシリーズ最後の『花楓』のキャラ付けは、やりすぎだったんではないか…?」
という疑問が生まれた。
身も蓋もないことを言うと、
- 『かえで』と『花楓』のキャラクターのギャップが大きい方が、咲太(と視聴者)の喪失感を演出できる
- もし2年前と同じように、突然自分が置かれた状況の変化に『花楓』がうろたえていたら、咲太もそれを放っておくわけにはいかず、感情にブレが生じる
……みたいな、作劇上の都合が第一なのだろうと思う。
(実際、かえで / 花楓役の久保ユリカさんは、このシーンで初めて『花楓』を演じた際に、音響監督から「もっと生意気に」と言われていたらしい)
さらに、
- TVシリーズの時点では「おでかけシスター」までアニメ化されるかどうか決まっておらず、そこから逆算して演出・演技のプランを立てることができなかった
……ということもあるのだろうと思う。
……でも、そういう「作品世界の外の理由」、いわゆる「大人の事情」で説明して「だからあのときの『花楓』は仕方がなかった」と納得してしまうのではなく、「作品世界の中」から「なぜあのときの『花楓』はあんなに生意気だったのか」という理由を考えてみたら……?
「目覚めた直後」と「おでかけシスター」のあいだの『花楓』
③、TVシリーズ最終話のエピローグで描かれた『花楓』。
エンドロールの背景では、赤面しながら(おそらく咲太から渡された)「かえでの日記帳」を読んでいた。
エンディング曲の後、いわゆるCパートでは、退院のために荷物をまとめながら咲太と『花楓』が話している。
「したいことはある?」
「うーんとね……学校に行きたい。行けるようになりたい」
「もう、怖くないのか?」
「大丈夫だと思う。だって……私は、ひとりじゃないもん」
そして2人は病室を出て行き、TVアニメ「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」は幕を閉じる。
④、映画「ゆめみる少女」の『花楓』。
89分の上映時間のうち、登場するのは7シーン、時間にして計5分足らず。
『かえで』ではなく『花楓』として改めて出会った、咲太の彼女やその妹とも親しくしている。
映画の中盤では美容院に行き、長かった髪が肩に届かないくらいの長さになった。
そしてエピローグにあたるパート。1月6日の朝には中学校の制服を着て、『かえで』が叶えることができなかった日中の学校に行く練習をしていた。
この③④の『花楓』、声の調子などはまだ②の『花楓』に近いが、話し方はそこまで生意気ではない。むしろ咲太に対する振る舞いなどは⑤の『花楓』の方に近いように見える。
……やはり、②の『花楓』だけが異質な存在だったのだろうか?
TVシリーズ「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」では、各章のヒロインがそれぞれ抱える心の問題が超常現象──思春期症候群を引き起こし、本人、そして周囲に様々な影響を及ぼしていた。
それらを解決するために「原因は何なのか、彼女らは何に悩んでいるのか、どう解決すればいいのか」ということが比較的わかりやすい形で説明されてきた。
中でも『かえで』については、特に丁寧にその心情が語られていたのではないかと思う。
一方、記憶が元に戻ったあとの『花楓』については──少なくともTVシリーズの最後から「ゆめみる少女」までは──そうではなかった。咲太と2人で暮らした2年間の記憶がないのに、至って平然としているように見える。
かと思えば、「おでかけシスター」ではそれまでとは打って変わって、突然感情が発露したようにも見える。
……だが、本当にそうだったのだろうか?
『花楓』の記憶が戻った11月27日、検査のために向かった病院で、咲太と父親に医師がこう告げていた。
「記憶を失っていた間のことは、何も覚えていないようですね。今はまだ状況を理解しきれていないようですが、しばらくすると記憶の空白部分に戸惑うようになってくると思います。落ち着くまで入院して、様子を見るのがいいでしょう」
『かえで』が消えてしまった喪失感が空気を支配している状況なので見過ごしがちなシーンだが、実際にこの医師が語っていたことが起きていたのだとしたら……?
もしも『花楓』が、『かえで』とおなじように日記をつけていたら…
11月27日。
朝 目覚めると、身に覚えのない筋肉痛がある。自室も自分が知っているものとは違う。起こしに来てくれた兄の顔もどこか大人びて見える……いや、それ以前に何やら様子が普通ではない。これから一緒に病院に向かうという。……えっ、なんで??
着いた先ではなにやら器具を付けられて検査を受けた。これからしばらく入院させられるという。病室では父が突然泣き出してしまった。この時「トイレに行く」と言って出て行った兄は、結局この日帰って来なかった。
翌日、ふらっと戻って来たかと思えば「退院したらパンダを見に行こう」などと言う。訳がわからない。いいけど、そういうのは妹ではなく彼女を作って……と答えると、「彼女ならいる」という。……えっ、いつの間に…!?
入院中に受けた説明によると、私は2年前に記憶を失って、その間、私の身体には別の人格が存在していたらしい。母は心を病んで入院し、父はその看病のため、私や兄とは別居。この2年間、『もうひとりの私』と兄の2人で暮らしていた……と。
確かに、私の身体はずいぶん大きくなっている。12歳・中学1年生だった私は、15歳の中学3年生になっていた。
この2年の間、『もうひとりの私』が書いていたという日記帳を兄から渡された。読んでもいいのかな……と少し思いつつ、ページをめくる。……こ、これ、本当に私が書いたの!? この子、どれだけお兄ちゃんのことが好きなのよ…。
……『もうひとりの私』もこの2年間、私と同じように学校には行けず、家の外にも出られなかったらしい。でも日記の最後の方、この1ヶ月くらいは毎日いろんな目標にチャレンジして、すごく頑張ってたみたい。もうすぐ私が…『花楓』が戻ってくることを知ってたのかな…。すごい、外にも出られるようになったし、学校にも行ったんだ。「パンダも見られました」、ずっと「パンダが好き」って書いてたもんね。
……お兄ちゃんが私に言った「退院したらパンダを見に行こう」って、もしかして……。
『花楓』が戸惑ったであろう様々な変化、2年間のギャップ
- 自身の身体が成長していた
-
「現在」(作中世界の2014〜2015年)の花楓 / かえでは身長162cmで、同年代の女子の平均よりも大きい方である。成長期なので、2年前から同じだったとは考えにくい。思春期なんて(特に女子は)普通でも自身の身体の変化に戸惑う時期なのに、その変化が2年分いっぺんに訪れたと思うと…。
- 家庭などの環境が一変していた
-
母は入院、父とは別居、生まれ育った家からは引っ越して、兄と二人暮らし。(2年前の時点で既に不登校だったとはいえ)学校も転校し、幼稚園に通う前からの幼なじみとも離ればなれになってしまった。
- 兄に彼女ができていた
-
咲太以外の人間との関わりがほとんどなく、極度の人見知りだった『かえで』。咲太が(後に付き合うことになる)桜島麻衣を初めて家に連れてきた際にも、蚊の鳴くような声で挨拶するのが精いっぱいだった。だが、彼女がたびたび家を訪れるようになるとよく懐いて、咲太との交際も普通に受け入れていた。
(『かえで』は幼さの残る性格の割に、咲太が初めて自室に招いた麻衣を見て「デリバリーな玄人のお姉さん」と形容したりする耳年増な一面があったり、「17歳と15歳の兄妹でそれはアウトでは…?」というレベルのスキンシップをしたりしてたので、兄の恋愛についてもわりと寛容だったのかもしれない……?)
一方、『花楓』。
YouTubeで公開されている「おでかけシスター」の冒頭映像を見ると……
咲太と麻衣が小指同士を繋ぐ様子を見てなにやら言いたげだったり、「咲太がずっと麻衣にデレデレしてるのが嫌」だったり…。
でもこれは別に「麻衣が嫌い」ということではなく、『花楓』本人も言っている通り、むしろ憧れに近い気持ちすらあるのだろう。
「相手が麻衣だから」…というわけではなく、兄に「いつの間にか」彼女ができていた…ということに対してモヤモヤしているのではないかと思う。
別に2人の交際に反対するわけではなくても、『花楓』にとってはある意味 既成事実を突きつけられた形で、
「私が知らない2年の間に、お兄ちゃんは成長して、彼女ができていた。
お兄ちゃんは、私を置いて大人になってしまった……」
……みたいな、「嫉妬」と似ているところもあるけどそれとは違う、そんなチクチクした感情が胸の奥に存在しているのではないか。
- 学校、勉強、進路、受験
-
『花楓』が目覚めたのは中学3年の11月末。
不登校だった『かえで』もある程度の自宅学習はしており、今の『花楓』にその頃の記憶はないが勉強した内容は覚えていた*2。
……とはいえ、どちらかというと勉強は苦手で、これから向き合うことになる高校受験には学力が足りていない。……というのは「おでかけシスター」の劇中で描かれた通り。
彼女は2年間休学していたようなものなんだから、たった1ヶ月の勉強で受験に挑戦しなくても「4月からもう一度中学3年生として学校に通いたい」と望めば認められるかもしれない。
だが、もし「そういう選択肢もある」というアドバイスがあったとしても、(少なくともこの時点では)『花楓』は決して選ばなかっただろう……というのも「おでかけシスター」本編を観れば明白である。
- 『もうひとりの私』の存在
-
そして、おそらく『花楓』が最も戸惑ったのは、『もうひとりの私』──『かえで』の存在だろう。
──ある朝 目覚めると2年間が経過していて、自分にはそのあいだの記憶がない。だが、意識を失って寝たきりだったわけではなく、別の人格として生活していたのだという。
……兄にとって、私がいない2年間を一緒に過ごした『もうひとりの私』は、どんな存在なのだろうか?──
もしもあなたが『花楓』と同じ境遇に置かれたとしたら、『もうひとりの私』という存在を、一体どのように受け入れるだろうか……?
……このように、目覚めてから2ヶ月足らずのあいだに『花楓』はこれだけの変化と向き合わなければならなかった。
目覚めた瞬間の自意識は子供同然の12歳の少女だったのに、彼女は急激に「大人」にならなければならなかったのだ。
2人の兄妹関係はどのように変わりつつあるのか
「おでかけシスター」の序盤に、咲太と『花楓』の自宅のダイニングでスクールカウンセラーの友部美和子先生、『花楓』、父親、そして咲太も同席して『花楓』の今後の進路について相談するシーンがある。
美和子先生に「具体的に行きたい高校はある?」と尋ねられるが、言い淀む『花楓』。
咲太に「言うだけならタダだぞ」と促され、『花楓』は「……お兄ちゃんと同じところ。お兄ちゃんが行ってる高校に行きたい」と答える。
「それならそうと早く言え」と、ちょっと意地悪っぽく笑う咲太。
だが、美和子先生に「今の花楓さんの学力では合格する可能性は限りなくゼロです」と反対されてしまい、ショックを受けひとり自室に帰ってしまう『花楓』。
一見 何気ないシーンだが、咲太と『花楓』がかつて(2年前)どのような兄妹関係だったのか、そしてそれが現在どのように変化しつつあるのかをうかがい知る上でとても重要なシーンだと思う。
まず、咲太。
「もしこの進路相談の場にいたのが『花楓』ではなく『かえで』だったら」と考えてみると……。
『花楓』と同じように『かえで』がなかなか言い出せずにいたら、咲太は恐らく「言うだけならタダだぞ」とは言わず、「嫌なら言わなくてもいいんだぞ」とか「無理して言うことないんだぞ」のような「『かえで』が傷つかないように」ということを第一に考えた発言をしていたのではないだろうか。
そして「お兄ちゃんと同じ高校がいい」の後は「そっか、お兄ちゃんと同じ高校がいいのか」とそのまま繰り返して次の発言を待ったり、「『かえで』はどうしてお兄ちゃんと同じ高校がいいんだ?」と理由を聞いたりして、「それならそうと早く言え」とからかうようなことは絶対に言わなかったと思う。
『かえで』に対しての咲太は、基本的に「無理をさせない(ただし『かえで』本人が強く望めばサポートする)」「嫌がることはしない・言わない」「会話は最後まで聞いて一旦すべて受けとめてあげて、茶化したりからかったりしない」という全肯定スタンスだった。
また、この「言うだけならタダだぞ」「それならそうと早く言え」を言う相手が「目覚めた直後の、あの生意気な『花楓』」だったら……と考えると、非常にしっくりくる。
やはりあの『花楓』は2年前・12歳の頃の『花楓』だったのだろう。
そして、その当時の咲太と『花楓』は、こうやってお互いに軽口を言い合うようなごく普通の仲の良い兄妹だったのだろうと思う。
……つまり、「なぜあのときの『花楓』はあんなに生意気だったのか」については、
- 目覚めた直後の『花楓』は2年前・12歳の『花楓』で、咲太のことも15歳の中学3年生だと思っていた。お互いにまだまだ子供だった当時はその兄妹関係も幼さが抜けておらず、あんな生意気な口を利くのも当たり前だった
からだと解釈できるのではないだろうか。
一方で、『花楓』。
なぜ兄と同じ高校に行きたいのか……というのは映画本編を観れば明らかなのでここでは触れないとして、それをなかなか言い出せなかったのは、以前の『花楓』はそんなこと……「兄と同じ高校に行きたい」と言うような性格ではなかったということなのではないだろうか。
さらに、この進路相談の翌日。
それでも『花楓』は咲太に「やっぱりお兄ちゃんが通ってる高校に行きたい」と伝え、その後はにかみながら「お兄ちゃんにお願いがあるんだけど。……勉強、教えてほしい」と頼む。
「おでかけシスター」の中で何回か見せた、咲太に対してはにかんだような様子は
「私がお兄ちゃんにこんなこと言うなんて、“らしくない” けど…」という照れなのではないだろうか。
では、なぜ彼女はそんな “らしくない” 言動をしたのだろうか?
咲太にとっての『かえで』と『花楓』
『かえで』は、かつて苦しんでいた。
ある日 目覚めると自分が誰かもわからなかった。
そして周りの人たちは、いま目の前にいる自分を無視するかのように、『それまでの自分』に向かって話しかけていた。
咲太は、そのことをよく知っている。
彼も当初は両親と同じように、記憶を失い別人のようになってしまった妹を受け入れられずにいたが、いま目の前にいる『かえで』の人格を認めて、彼女の「お兄ちゃん」になろうと決めた。
そんな咲太だからこそ、記憶が回復し、帰ってきた『花楓』に対しても同じように寄り添う…………べきだった、と後に彼は思ったかもしれない。
妹から「クラスメイトにいじめられている」と相談を受けたのに守ってやることができず、思春期症候群を発症し、記憶を失ってしまった。当時、15歳の咲太はひどく後悔し、自分の無力さを責めた。
そんな『花楓』が帰ってきたのだから、喜ぶべきことなのは間違いない。
だが、2年間を一緒に過ごした『かえで』の存在はあまりにも大きく、その喪失感は彼を激しく苛んだ。
『花楓』の記憶が戻ったことに気付いた朝、咲太は激しく動揺しつつも、父親に連絡して3人で病院に向かう。検査のあと、病室で感極まってしまう父。意に介さず、あっけらかんとしている『花楓』。咲太はそれまで必死に平静を装っていたが、とうとう限界を迎えた。ひとり病院を出て行き、号泣しながら雨空の下をあてもなく走る咲太。
翌日、なんとか落ち着きを取り戻した咲太は再び病室を訪れる。……が、彼は『花楓』に「退院したらパンダを見に行こう」と言ってしまう。
個人的には「気持ちはすごくわかるけど、でも、それは言う相手が違うだろう、咲太…」と思ってしまった…。
『花楓』は、この時点では「え…? 急に、なに?」と、唐突な誘いを訝しがるくらいだった。
しかし、咲太から渡された「かえでの日記帳」を読んで、
「自分が記憶を失っていた2年のあいだの『もうひとりの私』は、パンダがすごく好きだった」
「自分が目覚める前日、彼女にとっての最後の日には、兄とパンダを見に行っていた」*3
ということを知ったとき、『花楓』は一体どう思っただろうか。
『かえで』がかつて苦しんだ「目の前にいる私ではなく、『もうひとりの私』を見ている」。
これと全く同じではないにしても、それに近い不安を味わったのではないだろうか…?
劇中の描写を見る限り、咲太はこの不用意な発言以降は積極的には『かえで』のことは話さず、また、それを察してなのか『花楓』も咲太に対して訊かないようにしていたような気がする。
……が、そんな状況がかえって『花楓』を不安にしていたのではないか……とも思う。
意識的に触れないようにしていても、それでも咲太はふとした瞬間に『花楓』の中に『かえで』の面影を見てしまい、そして『花楓』もそれを敏感に感じ取っている。
『花楓』にとっての『もうひとりの私』
──私がいなくなっているあいだに、会ったこともない『もうひとりの私』にお兄ちゃんを取られてしまった。
自分が帰ってきたことをお兄ちゃんは喜んでいないのではないか、『もうひとりの私』のままの方が良かったのではないか──。
ここまで明確ではないのかもしれないが、そんな嫉妬にも似た感情が『花楓』の中に存在するであろうことは想像に難くない(というか、「おでかけシスター」劇中でも……)。
──以前の「生意気な自分」より『もうひとりの私』の方がいいんだったら、私もそんなふうに、自分の気持ちをもっと素直にお兄ちゃんに伝えた方がいいのかな──。
「おでかけシスター」の劇中、はにかみながら “らしくない” 言動をしていた彼女の胸中には、こんな思いがあったのかもしれない。
また、「ゆめみる少女」の中盤、彼女は美容院に行って、長かった髪を肩までくらいの長さに切っている。……この行動には「髪型を変えることで『もうひとりの私』の面影を払拭して、目の前の自分をもっと見てほしい」という思いの表れ……という一面もあるのかもしれない(もしかすると彼女はそこまでは考えておらず、筆者の穿ち過ぎ、邪推し過ぎなのかもしれないが……)。
では、『花楓』が『もうひとりの私』、『かえで』に対して抱いているのは、そんなネガティブな感情だけなのか……というと、それは決して違う。
上の方で一度引用した、TVシリーズ最終話のラストシーン(Cパート)での咲太と『花楓』の会話を再度引用する。
「したいことはある?」
「うーんとね……学校に行きたい。行けるようになりたい」
「もう、怖くないのか?」
「大丈夫だと思う。だって……私は、ひとりじゃないもん」
最後の「私は、ひとりじゃないもん」というセリフ。
単純に考えると「(兄である咲太がいるから)ひとりじゃない」と解釈することもできる。
が、このシーンの直前に、咲太から渡された(と思われる)かえでの日記帳を読んでいるシーンがある。
そしてこのCパートの冒頭にも、退院の準備の中でバッグにかえでの日記帳をしまっているカットがある。
このことから考えると「(『もうひとりの私』である『かえで』がいるから)ひとりじゃない」と考える方が自然なように思う(あるいは、その両方なのかもしれない)。
2年前、記憶を失う直前の『花楓』は既に不登校になっており、いちばん精神的に傷ついていた時期だった。
記憶が戻って目覚めた彼女の精神状態がこの頃のままだったら、まず心の傷を癒やさなければならず、学校に行けるようになるのはずっと先になっていただろう。
『かえで』は2年間、家の外には出られず、自室で本を読み、咲太(と飼い猫の「なすの」)と暮らし、それ以外の人間と関わることはほとんどなかった。
だが、これは無駄な時間などではなく、眠っていた『花楓』の心の傷がこの期間にゆっくりと癒えていったのだろうと思う。
また、「おでかけシスター」内の会話*4で「『かえで』だった頃の記憶はなくても、その頃にした勉強の内容は覚えている」と説明された。
ここから考えると、『かえで』が必死に頑張って家の外に出て、電車に乗り、動物園に行き、買い物をして、夜の学校にも行けるようになった、彼女の最後の40日間の経験。
これも決して無駄ではなく、『花楓』の中に受け継がれたのではないか。
そして、『かえで』が最後の夜に話していた「明日はお昼の学校に行けるような気がします」という感覚も。
実際には「明日」ではなくもう少し先になったが、『花楓』は「ゆめみる少女」のラスト(1月6日)では校門まで行けるようになり、「おでかけシスター」の冒頭時点(1月16日)では保健室登校ができるようになっていた。
記憶を取り戻して目覚めた『花楓』は、自分の心の傷が癒えていること、もう少しで学校に行けそうだという感覚があることに気付く。
そして咲太から渡されたかえでの日記帳を読んで、それが必死に頑張ってくれた『もうひとりの私』のおかげだと理解したのではないだろうか。
なにより、『花楓』はかえでの日記帳を肌身離さず持ち歩いていた。
高校に入学願書の提出に行った日も、入学試験の当日も……まるでお守りのように。
……正直、「『花楓』自身も、『もうひとりの私』という存在を自分の中でどう扱っていいのかわからない」というのが本音なのだろうと思う。
「感謝」に近いポジティブな感情、「嫉妬」に近いネガティブな感情、そのどちらもが存在しているのだろうが、それ以前に『花楓』は、『かえで』のことをあまりにも知らない。
『かえで』の、これから
映画「青春ブタ野郎はおでかけシスターの夢を見ない」は、『花楓』の自室の勉強机に置かれた「かえでの日記帳」が映されたラストシーンで幕を閉じる。
BGMは穏やかで明るく、部屋は夕日で照らされ、冬から春に移り変わりつつある季節とともに自分の足で歩き始めた『花楓』のこれからを象徴するようなシーンである。
……が、筆者にはこのラストシーンの日記帳が、まるで『かえで』の墓標のように見えてしまって、このシーンを観るたびに、とても悲しい。
『かえで』がいなくなって、咲太は憔悴し、立ち直り、しかし忘れることはできず、そして「おでかけシスター」で『花楓』と向き合い……と間接的には『かえで』は物語に影響を及ぼし続けている。しかし、直接的には「『かえで』の物語」は、ある意味 宙ぶらりんな状態になっている。
「いなくなってしまった人物」である「『かえで』の物語」は、普通ならこれ以上進行させようがないのかもしれない。
が、「思春期症候群」という超常現象(人から存在を認識されなくなってしまったり、同じ1日を何度もループしたり、1人の人間が2人に分かれてしまったり、姉妹の姿が入れ替わったりしてしまう)が存在する世界なんだから、『かえで』の物語をもっときっちり完結させようと思えばいくらでもやりようはあるように思える。例えば…
- 咲太にお別れを言うために、最後にもう一度だけ『花楓』と入れ替わる
- 人格は『花楓』に戻るが『かえで』だった頃の記憶は残り、2人分の記憶が統合される
- 青ブタの他のエピソードでは、これに近いことは実際に起きている*5
- 『花楓』の心の中に『かえで』が現れ、2人が対話してお互いを理解し合う
- なにかのきっかけ(くしゃみをするとかお湯をかぶるとか)で2人の人格が入れ替わるようになってしまう*6
…などなど。
これらのような青ブタシリーズ全体の物語に影響を与えるような展開ではなくても、「『かえで』は、今でも『花楓』のそばにいて、ずっと見守っている」……みたいな演出があれば、印象はずいぶん違うのかもしれない。
実際、アニメの公式イラスト(キービジュアルなど)ではそういう構図のものも複数存在している。(1)・(2)・(3)
…が、(現時点では)アニメ本編にはそういうシーンは一切存在せず、これに関しては徹底したリアリズムを貫いている。ある意味 残酷ではあるが、安易に解決させるよりも作品と登場人物に対して誠実だと言えるのかもしれない。
『かえで』は物理的・肉体的に死んでしまった訳ではないが、上記のような展開が起きていない「おでかけシスター」時点の状況は、実質的に「死別」と大差がない。
『かえで』は日記帳に
かえでがいなくなっても、お兄ちゃんにはかえでのことを、笑いながら思い出してもらえたら嬉しいです。
と書き残していた。
『かえで』のことを忘れず、思い出す。
咲太が(そして、我々視聴者が)『かえで』にしてあげられることは、これくらいしかないのかもしれない。
……なんて、ちょっと悲観的なことを考えたりもしてたのだけど──。
洗ってないなすののにおいがします
「おでかけシスター」公開1週目の入場者特典「青春ブタ野郎はアニマルランドの夢を見る」。
映画の後日談である短編小説だが、『かえで』と『花楓』のファンとしては「これを単なる「後日談」にしておくなんてもったいない!」という非常に重要な内容である。
アニメ化して、「おでかけシスター」のエンドロールの後にエピローグとして流すべき……と言っても過言ではない(まあ冷静に考えれば、そんな簡単に実現できることではないのだが…)。
少なくとも、(何年先になってもいいので、いつかは)「購入すれば誰でも読める」という形で流通させるべき作品だと思う。
筆者は恥ずかしながら原作小説は未読なのだが*7、最新刊までの紹介文を読む限り、この「アニマルランド」が『花楓』と『かえで』がメインのエピソードとしては、現時点で(時系列的に)最後のものなのかと思う。
入場者特典という性質上、詳しい内容について言及することは避けるが、単純に作品として良いのはもちろん、「「おでかけシスター」までの『花楓』が、『もうひとりの私』である『かえで』のことをどのように思っていたのか」について考える上での[補助線]、そして「今後、咲太と『花楓』の兄妹が、『もうひとりの妹』である『かえで』とどのように付き合っていくのか」という[延長線]を引く上での[起点]としても機能している。
このエントリを書いていた数日間、ずっと『かえで』と『花楓』のことを考えていて、「「おでかけシスター」で『花楓』は自分の意志で前に進み始めたけど、でも『かえで』は…。」というモヤモヤが常にあった。
だけど、「おでかけシスター」初回鑑賞後に一度は目を通していた「アニマルランド」を数時間前に再読し、「ああ、こんな内容だったのか…!」と理解して、少し救われた気がした。そして、また少し泣きそうになってしまった…。
さいごに
映画「青春ブタ野郎はおでかけシスターの夢を見ない」は、冬の張り詰めた、凛とした空気に満ちた静謐な作品である。と同時に、シリーズで最も感情に溢れた作品である。
一見何気ないシーンでも、登場人物の仕草やひとことに注意し、その裏にどんな感情が存在するのかを想像すれば、途端にスクリーンが雄弁に語り始める。
大袈裟かもしれないけど、自分にとって人生を変える作品になった。
スタッフ・キャストの皆さん、こんなに素晴らしい作品を世に出してくれてありがとうございます。
前作よりも大幅にクオリティが上がっている作画と美術。
格調が高く、演出と一体になった音楽(中でも咲太たちに支えられながら花楓が猛勉強するシーンの曲は素晴らしい)。
そして、久保ユリカさん。もしも他の方が演じていたら、「おでかけシスター」は(そして青ブタシリーズは)ここまで自分の心に響く作品にはなっていなかったと思います。『花楓』と『かえで』を演じてくれて、本当にありがとうございます。
思ってた以上に書くのが遅くなってしまって、上映中の劇場でも1日1回とかになってしまったけど……まだ終映にはなってないので、気になった方はぜひ劇場に行って「おでかけシスター」を観てください!!