※このエントリは、映画「トラペジウム」のネタバレを含みます
Day 1
高校生の少女・東ゆうが、自ら探し集めたメンバー、華鳥蘭子・大河くるみ・亀井美嘉と一緒にテレビ出演にこぎつけ、ついにはデビューを果たしたアイドルグループ「東西南北」の事実上の活動休止。
意気消沈したゆうは、何日も自室に引き篭もっていた。
母に促されて数日ぶりに登校するが、学校にも彼女の居場所はない。
放課後、あてもなく立ち寄った 翁琉城 の公園で、観光ボランティアの活動をしていた時に世話になった老人・伊丹に声をかけられる。テレビに出るようになってから足が遠のいていたゆうにとって、顔を合わせるのは久しぶりだ。東西南北の活動休止を報告すると、思いがけない言葉が伊丹の口から出た。
「これから、どうするんですか?」
これから……?
家路に就いても、ゆうはその言葉を反芻していた。
これから……。
駅のホームで電車を待っていると、番組 AD の古賀から着信が入った。番組主題歌を収録した CD に東西南北の曲も入るのだという。東西南北のトラブルで迷惑を被った立場なのに、古賀の声はいつものように明るい。
「ほんま、ありがとうな!」
「……こちらこそ……ありがとうございました……」
頭を下げながらそう言ったゆうの声は、震えていた。
帰宅して遅い夕飯を食べていると、少し前まで自分たちが出ていた番組がテレビに映った。
ゆうに気を遣ってテレビを消した母に、東西南北のみんなはどうしているのかと聞かれるが、首を横に振ることしかできない。
「あのさ……」ゆうが口を開く。
「……私ってさ、嫌なやつ、だよね……」
母がゆうの肩に手を置く。
「そういうところも、そうじゃないところもあるよ。ゆうには」
自室に戻ったゆうは、膝に顔をうずめ、声を上げて泣き続けた。
Day 2
ゆうは意を決してボランティア施設・ババハウスを訪れた。
そこで再会した美嘉から、ゆうは小学生の頃から変わらず気丈だった、そしてそんなゆうに美嘉はすごく救われていたのだと聞かされる。
「東ちゃん。私はね、東ちゃんのファン 1号だったんだよ」
夜、ゆうが自室でラジオを聞いていると、東西南北の唯一の持ち歌だった「なりたいじぶん」が流れる。その曲をリクエストした「にこきっずのサチ」という名前に、ゆうは覚えがあった。
同じ頃、蘭子は自宅で、くるみは高専のロボット研究会の部室で、そして美嘉はババハウスで車椅子の少女・サチと一緒に、同じラジオを聞いていた。
Day 3
ある日の放課後、ゆうは自分たちの曲が収録された CD を買って、4人で何度もダンスの自主練をした公園の展望台にひとりで来ていた。
ベンチに腰掛けて CD のジャケットを眺め、東西南北として活動していた頃のことを思い出す。
すると急に強い風が吹いた。CDショップの袋が飛ばされた方を見ると……。
「東ちゃん?」
そこに立っていたのは美嘉だった。後ろにはくるみと蘭子もいる。
かける言葉が見つからない。ゆうが、緊張した時の癖で首筋に触れようとすると……。
「……え?」
3人は示し合わせたように、ゆうと同じ CDショップの袋と、笑顔を見せた。
…………というのが、トラペジウムの物語終盤、クライマックスへと到る一連のシークエンスである。
( ※ Day 1 ~ 3 というのは本エントリの都合で便宜上 付けた呼び方で、公式のものではない )
Day 1 |
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Day 2 |
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Day 3 |
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このシークエンス、普通に観ていると気づきにくいが、よくよく考えると「ん?」という点がいくつかある。
それは、「ゆうが CD を買ったのは『いつ』なのか」ということ、
そして「美嘉・くるみ・蘭子が展望台でゆうと再会したのは『偶然』だったのか」ということである。
目次
CD の発売日は何曜日?
まず、Day 1。
帰宅したゆうが夕飯を食べていると、リビングのテレビに少し前まで東西南北が出演していたバラエティ番組「めちゃ×2 フライデー」が映る。
よって、Day 1 は金曜日である。
(「がっちりマンデー!!」(日曜放送)や「少年サンデー」(水曜発売)みたいに、番組名と放送曜日が異なっている可能性……は、ない(劇中で古賀の「金曜の深夜のバラエティ」という発言がある))
Day 1 | 金曜日 |
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Day 2 は Day 1 の翌日なので土曜日である(詳しくは後述)。
そして、その夜のラジオが流れるシーン。曲を流す前に、ラジオ DJ が「明日発売 の『めちゃ×2 フライデー』のテーマソング集」と紹介している。
つまり、この CD の発売日は日曜日ということになる。
(通例、CD の発売日は水曜日が最も一般的。次いで、平日の他の曜日も散見されるが、日曜発売はかなり珍しい。全く無いということはないが、なぜ敢えて日曜に…?という疑問はある。番組にちなんで金曜にするならともかく……)
Day 1 | 金曜日 |
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Day 2 | 土曜日 |
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CDの発売日 | 日曜日 |
ゆうが CD を買ったのは……?
普通に映画を観ていると Day 1 ~ 3 は連続した 3日間……、つまり「Day 1 の翌日が Day 2・Day 2 の翌日が Day 3」だと認識するのではないかと思う。
もしそうなら、ゆうが CD を買いに行ったのは発売日……つまり「Day 3 は CD の発売日」ということになる。
……が、それだと辻褄が合わない点が出てくる。
Day 1 | 金曜日 |
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Day 2 | 土曜日 |
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CDの発売日 = Day 3…? | 日曜日 |
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TSUTAYAっぽいショップ *1 で CD を買った日のゆうは、学校の制服姿で学生カバンを持っており、店の前には他にも制服姿の女子高生(か中学生)がいた。展望台で再会した美嘉と蘭子も同様だった(くるみはいつもの萌え袖のパーカー)。
つまり、「放課後」である。
一方、CD の発売日は前述の通り「日曜日」である。日曜日に「放課後」はない。 また、部活動をしていないゆうが日曜日にあえて制服姿でショップに行く理由もない。
(じゃあ、Day 2 = 土曜日にババハウスで再会したゆうと美嘉が制服姿だったのはどうなんだ…?という問題もあるにはある。土曜日授業のある高校もあるけど…)
従って、「Day 3(ゆうが CD を買った日)」は「Day 2 の翌日( CD の発売日 = 日曜日)」ではない、ということになる。
では、「Day 3(ゆうが CD を買った日)」は、一体いつなのか?
Day 1 | 金曜日 |
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Day 2 | 土曜日 |
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CDの発売日 | 日曜日 | |
Day 3 | ??? |
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つばさ文庫版の記述
そこで、つばさ文庫版の「トラペジウム」(著・百瀬しのぶ)を参照してみる。
これは映画「トラペジウム」の公開にあわせて、児童向けレーベル「角川つばさ文庫」から発刊されたもの。「原作小説『トラペジウム』を子供向けにわかりやすく書き直したもの」……ではなく、「映画『トラペジウム』のノベライズ」である。
よって作中の設定等は原作小説ではなく、映画版に準拠していると考えられる(一部セリフの修正等、映画版から多少の変更点は見られる)。
(なお、これに関して原作小説の記述を参考にすることはできない。なぜなら「映画『トラペジウム』」は原作小説からいくらかの変更点があり、特に映画後半はオリジナル要素が強い。そして、このエントリで扱っている Day 1 ~ 3 に関しては 8割方 映画オリジナル展開だからである。
とはいえ、決して原作小説をないがしろにしているわけではなく、むしろ原作を最大限尊重した上での変更だと私は感じている。……というのは、映画のスタッフの名誉のために記しておきたい。閑話休題)
で、つばさ文庫版では、Day 2 の夜、4人がそれぞれの場所でラジオを聴いているシーンの直後……
数日後の放課後、ショッピングモールのCDショップに行った。
と書かれている。「Day 3 は Day 2 の『数日後』」である。『翌日』ならこういう書き方はしないだろう。
具体的な日にちの特定には至らないが、どうやら「Day 3 は日曜日ではない」ということが判った。
(ちなみに、Day 1 の夜、ゆうが自室で泣いているシーンの直後には……
翌日、ババハウスに向かった。ここに来れば美嘉に会える気がしていた。
と書かれている。「Day 2 は Day 1 の『翌日』」である)
Day 1 | 金曜日 |
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Day 2 | 土曜日 |
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CDの発売日 | 日曜日 | |
Day 3 | Day 2 の『数日後』 (具体的な日にちは不明) |
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とりあえず、この設定に従えば、曜日と「放課後」の齟齬についてはひとまず解決する。
しかし、そうなると新たな疑問が生じる。
展望台での再会は『偶然』だったのか?
ゆうが CD を買ったあと、公演の展望台に行って、ベンチに腰掛けている。
そこに、同じく CD を買った美嘉、蘭子、くるみの 3人もやって来て、ゆうと再会する。
……さて、この再会は『偶然』だったのだろうか?
CD を買いに行ったのが発売日だったら、「4人が 偶然 同じ日に CD を買って、よくダンスの自主練に来ていた展望台で 偶然 鉢合わせる」ということもあるかもしれない。
しかし、この日は「発売日の何日か後」である。「4人が 同じ日に CD を買いに行く」という可能性は、発売日よりもかなり低くなるだろう。
では、ゆう以外の 3人。CDショップで、あるいは展望台への道中で『偶然』出会ったのではないとすると、彼女らはなぜ一緒にいたのだろうか?
『あの日』からの 3人
くるみが半狂乱になり、蘭子が「アイドルって楽しくない」と言い放ち、美嘉が泣き崩れた 『あの日』 。
そこから独りで逃げ出したゆうが自室で塞ぎ込んでいた間、3人はどうしていたのだろう?
劇中にそれを示す直接的な描写はない。事務所からの連絡で「ゆうよりも先に事務所を辞めた」ということが判るくらいである。
ナレーションによると、『あの日』から「数日後」には、「事務所から連絡があって、3人の契約解除が告げられた」という。
さらに、その何日か後(Day 1 の前日)には、ゆうのスマホに 遠藤(事務所の社長)から「他の 3人の退所の手続きが済んだんだけど……どうする?」と連絡が入る。
『あの日』から展望台での再会までは、どれくらいの期間?
『あの日』の少し前のシーン……ゆうが(東西南北の 2つめの持ち歌になるはずだった)新曲の作詞に着手したシーンで、ゆうの自室のカレンダーは 2月 になっていた。
この日が 2月のいつなのかは不明だが、このシーンの後、『あの日』までの間に……
- メンバーで分担して行うことになっていた作詞が進まない 3人が、展望台でゆうに詰められる
- アイドルフェスに出演する
- その帰り、電車内でくるみが蘭子に内心を吐露する
というシーンがある。
(また、つばさ文庫版では、ゆうが作詞を始めたシーンの直後に「数日後、いつもの公園の展望台に集まった。」と書かれている)
これらの時間経過や、後述する Day 1 からの逆算など、総合的に考えると、ゆうが作詞を始めた日は 2月初旬~中旬、『あの日』は 2月中旬~下旬 あたりではないかと思う。
そして、Day 1 の駅のホームのシーンで、ゆうの側を通り過ぎた女子高生 2人組の会話に「来月 3年だよ?」というセリフがある。来月 3年……つまり来月には 3年生に進級するということは、この日はもう 3月になっている ということだろう。
また、その後の夕食のシーンでも、ダイニングのカレンダーが 3月になっている。
(あと、Day 1 の教室のシーンで、黒板の日付が「3月 1日」になってた……気がするんだけど、劇場でちゃんと確認できなかった……)
これらのことを含めて考えると、4人がバラバラになった『あの日』から、展望台で再会を果たした Day 3 までは、だいたい 10日間 前後……長くても 2週間 くらいではないかと思う(それ以上だと長すぎ、1週間だと短すぎるように感じる)。
2月 | (東西南北の新曲の話を聞かされた日) |
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(↑の日の「数日後」) |
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(具体的な日にちは不明) |
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(具体的な日にちは不明) | 『あの日』 | ||
(『あの日』の「数日後」) |
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(Day 1 の前々日) | 水曜日 |
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(Day 1 の前日) | 木曜日 |
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3月 | Day 1 | 金曜日 |
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Day 2 | 土曜日 |
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CDの発売日 | 日曜日 | ||
Day 3 | Day 2 の『数日後』 (具体的な日にちは不明) |
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ゆうと再会するまで、3人はどうしていたのか
……その期間、ゆう以外の 3人は一体どうしていたのだろうか。
3人は……いや、ゆうも含めて東西南北の全員が、それぞれ傷ついていたに違いない。
「アイドル」が長年の夢だったゆうと、成り行きでテレビ出演や芸能活動を始めた 3人とでは熱意に大きな差があり、ゆうはそのことに歯がゆさを感じていた。
また、憧れだった「アイドル」にはなったものの、実際に活動してみると思うようにいかないことも多く、そのフラストレーションを周囲にぶつけてしまうことも増えていた。
そのことが『あの日』の出来事を引き起こし、結果、一度は掴んだゆうの夢は音を立てて崩れた。
もともと人前に出るのが苦手だったのに、なし崩し的に多くの人の目にさらされる立場になって、精神的に追いつめられていたくるみ。
彼女はアイドルとして抜群の「素質」を持っていたが、残念ながら「適性」がなかった。
遅かれ早かれ、彼女はアイドルを続けられなくなっていたかもしれないが、ゆうの態度や行動の変化がさらなる負担となって『あの日』の悲劇を招き、その時期を早めた。
ゆうがもう少しメンバーに寄り添ってあげられていれば、もっと穏やかな形で幕を閉じることも、あるいは、もしかしたら くるみがアイドルを続けることだってできたかもしれない……と、どうしても考えてしまう。
(しかし、人生経験もなく、(その信念や行動力は並外れているとはいえ)人並みに愚かな 16歳の少女をそこまで責めるのも酷かもしれない……とも思う)
くるみと違って、蘭子にとって人から注目されることは苦ではなかった。それどころか目まぐるしい環境の変化を楽しんでさえいた。
でもそれは、とりとめのないおしゃべりをして、笑顔で一緒にいられて……そんな 4人の仲が根底にあってのことだった。
ゆうの様子が以前とは変わってしまい、美嘉が傷つき、くるみが苦しんでいる。
そんな状況を放ったままで「アイドル」を続けることは彼女にはできなかった。
グイグイと引っ張っていくようなリーダーシップを発揮していたゆうとは対照的に、蘭子は東西南北の精神的支柱のような存在だったように思う……特にくるみにとっては。
『あの日』からゆうと再会するまでの間、彼女はそれまでと同じように 2人の支えになっていたのかもしれない。
(テレビ出演の話が持ち上がった時、乗り気ではなかったくるみの背中を押した「やってみましょうよ」という何気ない言葉。それが結果的にくるみを追いつめてしまったことに、蘭子は心を痛めていたのかもしれない)
美嘉は、既に『あの日』の時点で笑顔を失って、半ば抜け殻のようになっていた。
彼氏がいたこと、それをみんなに言っていなかったことをゆうから咎められ、「友達にならなきゃよかった」とまで言われて……。
彼氏と別れざるを得なくなったこと、ゆうから強く責められたことに美嘉が大きなショックを受けていたのは明らかだ。
でも、それ以上に「ゆうが変わってしまった」ことが、彼女は悲しかったのではないかと思う。
ゆうは念願だったアイドルになり、それに飽き足らず東西南北のさらなる成功のために必死になるあまり、周囲を、そして自分を見失ってしまっていた。
幼い頃の美嘉にとっての「ヒーロー」の姿は、そこにはなかった。
……『あの日』のあと、ゆうよりも先に事務所の退所手続きが済んだ 3人は、そのために保護者と一緒に事務所を訪れたり、お互いに連絡を取り合ったりはしていたのかもしれない。
だけど、誰もゆうに連絡を取ることはできなかった。
ゆう自身は全てを失ったショックから立ち直れておらず、3人のことを気にかける余裕などとてもなかった。
ゆうとは違って「アイドル」にそこまで執着がなかった 3人は、時間が経ってある程度は落ち着きを取り戻していたかもしれない。しかし、ゆうに対してどう接すればいいのか、どんな言葉をかければいいのか……その答えを出せるほど気持ちの整理はついていなかったのかもしれない。
そのまま 4人が出会う前のそれぞれの生活に戻って、ずっと音信不通になってしまい、二度と再会することはなかった…………そんな未来もあり得たかもしれない。
でも、ゆうは美嘉のもとを訪ねていった。
ゆうは「自分」というものを見失って、「これから」どうすればいいのかわからなくなっていた。
そのヒントが欲しくて、小学生の頃の自分を知る美嘉に「昔の自分」がどうだったかを聞きに行った。
自分勝手な振る舞いのせいで酷く傷つけてしまった美嘉から許してもらえず、拒絶されることも覚悟していただろう(ババハウスの前で、緊張を落ち着かせるための癖で首筋に手を当てていたゆうの様子からそれが見て取れる)。
けれど、美嘉はババハウスの中にゆうを招き入れ、コーヒーを飲みながら話した。
この久しぶりの会話は、ゆうだけではなく、それを語った美嘉自身にも「かっこよかった」幼い頃のゆうを、そしてゆうと過ごしたこの数ヶ月間の日々を思い出させたのかもしれない。
4人の再会を実現させたのは……
…………脱線が長くなってしまった(いや脱線ではないです、一応……)。
で、何が言いたいのかというと…… 展望台での再会は『偶然』ではなく、その実現には美嘉が大きな役割を果たしていたのではないか と。
ゆうとの仲を修復したいという気持ちは 3人にもあったのだろうけど、「拒絶されてしまうのでは」という不安もまたあったのではないか…………ゆうと同じように。
だけど、ゆうは美嘉に会いに来た。
そして美嘉は、ゆうに語る自らの言葉によって、「かっこよかった」ゆうの姿に幼い頃の自分がを救われたことを思い出し、「今度は自分がゆうの助けになろう」……そう思ったのではないだろうか。
なんとかまた 4人で集まって、話ができないだろうか……。
そこで 美嘉は、発売を知らされていた CD を「一緒に買いに行こう」と、くるみと蘭子を誘ったのかもしれない。
(『あの日』以降、3人が退所手続きのために事務所を訪れていたなら、CD のことはそこで聞いて、古賀から知らされたゆうよりも早く知っていたのかもしれない)
また、Day 2 の夜、4人が同じラジオを聴いていたのも偶然ではなかったのかもしれない。
この日以前に、美嘉から CD のことを聞かされたサチが番組にリクエストを送っていて、美嘉が「ラジオで流れるかもしれないから聴いていてほしい」と蘭子とくるみに伝えていた……そんなことがあったのかもしれない(ゆうがいつもこの番組を聴いている *2 ことを、美嘉はゆうから聞いて知っていたのかもしれない)。
(また少し脱線になるけど……「あんな酷い目に遭わされた 3人が、ゆうとの仲を修復したいなんて思うか?」という人もいるかもしれない。
でも、3人はゆうから「酷い目に遭わされた『だけ』」ではなく、ちゃんと「良い友人」でもあったはず。
注意しなくてはならないのは、「トラペジウムは、(ある意味で)露悪的な作品である」ということだ。
これは「主人公・東ゆうが露悪的な人間である」ということではなくて、「トラペジウムという作品自体が」という意味で。
この作品には、物語の「本筋」には直接 関係のないシーンの描写が全くない……というのは言い過ぎだが、かなり少ない。
「本筋」というのは、「東ゆうがメンバーを探して、アイドルになって、それを失って、それでも諦めきれず……」というところである。
結果的に、「ゆうが本心を隠して 3人に近づき、うまくいかないと酷い言動をして……」という点ばかりが強調されて、観客の印象に残ってしまう。
でも、Day 1 の夜のゆうの母親の言葉を思い出してほしい。
「……私ってさ、嫌なやつ、だよね……」と話すゆうにかけた「そういうところも、そうじゃないところもあるよ。ゆうには」という言葉。 *3
この言葉は、ゆうに対してだけではなく、我々観客に向けての言葉でもある と、私はそう思っている。
東西南北の 4人は、それぞれ友達がいない(または少ない)者同士だった。
ゆうは学校では敢えて目立たないようにしていたし、蘭子はテニスの腕前がイマイチで部内でいい扱いを受けていなかった。くるみは周りに女子がいない環境で、ゆうと出会った時にはロボット研究会でも孤立していた。そして美嘉は、言うまでもなく……。
そんな共通点を持つ 4人が一緒に過ごした数ヶ月間は、決して「嫌なこと」だけではなかったはず。
例えば、観光ボランティアの活動が取り上げられて、ゆうたちが初めてテレビに映った日。 ゆうは緊張しながら、自宅のリビングで母と一緒にテレビを見ていた。
ゆう、蘭子、美嘉は小さく画面に映るが、取材の日にドタキャンしたくるみの姿がない。
それに気づいた母の「あのロボコンの子は? いつも一緒にいるじゃない」という台詞。
これはつまり、ゆうとくるみが、ゆうの母親から「いつも一緒にいる」と認識されるほど仲が良かった ということを暗に示している。
くるみだけなのか、他の 2人も一緒になのかはわからないが、結構 頻繁に家に遊びに来ていたのだろうか?
それとも、いつも一緒に遊んでいるということをゆうが母に話していたのだろうか? 妄想は尽きない。
もしトラペジウムの上映時間があと 30分 長くて 120分 だったら(あるいは 2クールとか 4クールのテレビアニメだったら)、 物語の「本筋」には大きく絡まない、4人が一緒に遊ぶだけの「日常回」的な描写を入れることができて、観客のゆうに対する印象をもう少し和らげることができたのかもしれない。……閑話休題)
で、なぜ展望台で再会できたのか?
仮説に仮説を積み上げてここまで来たが……まだ解決されていない問題がある。
それは「4人が CD を買って、展望台で再会した日は、CD の発売日ではない」ということである。
場所については、ゆうが行きそうな場所、ショッピングモールやフードコートなども回って、最後に立ち寄った展望台でやっと出会えた……そう考えれば説明はつく。
でも、日時。
この日が発売日だったら「ゆうもこの CD を買いに来るかもしれない」と考えるのはわかる。
美嘉はなぜ、発売日から何日か経ったこの日にゆうが CD を買いに来ると予想できたのだろうか?
いろいろ考えて、自分がたどり着いた結論は…………「美嘉たちは CD の発売日から毎日、ゆうを探して回っていたのではないか」である。
発売日にも来ていた。その次の日にも来ていた。その次の日にも……ゆうと出会えるまで、毎日来ていた。
2日間なのか、3日間なのか、4日間なのかわからないが、毎日来ていた。(ループものの主人公か?)
馬鹿みたいな結論かもしれないが……でも、真面目に考えて出した結論である。一応。
まず、発売日……より前。
美嘉たちが発売日に CD を買いに行っても、ゆうが所謂フラゲをしていたら、その時点で会える可能性はなくなってしまう。ゆうの性格や行動原理を考えると、そのリスクは十分に考えられる。
だが、発売日の前日……それは Day 2、ゆうと美嘉がババハウスで再会した日である。久しぶりに会って話す中で、CD のことも話題に上ったのではないだろうか。「そういえばさ、きのう古賀さんから連絡があったんだけど…」みたいな感じで。
(そもそも、ゆうたちは関係者……というか当事者なんだから、自分で買わなくても貰えたりしないのか?という疑問はある。が、既に事務所を退所して、しかもそれが円満とは言い難い形だったのもあって、そのへんは有耶無耶になってしまったのかもしれない)
この会話で、美嘉はゆうがまだ CD を入手していないことを知った。そして、翌日の発売日にくるみと蘭子を誘って CD を買いに行けば、もしかしたら 4人での再会も叶うのではないか……そう考えたのではないだろうか。
でも、発売日にはゆうは来なかった。
(この「なぜ、ゆうは発売日に CD を買わなかったのか?」というのも謎ではある。
以前の……東西南北として活動していた頃のゆうなら、真っ先に手に入れようとしていたような気がする。
でも、「アイドルではなくなってしまった」ゆうが、CD という「自分がアイドルだった証」と向き合うことにためらいがあり、その決心がつくまでには何日かを要した……と考えると、納得できるような気もする)
くるみと蘭子を誘って CD を買って、一緒にパンケーキを食べたフードコートや、小学生の頃以来の再会をしたショッピングモール、ダンスの自主練をした展望台に行ったが、この日はゆうとは会えなかった。
……美嘉はそこで諦めるだろうか?
翌日、美嘉は再びくるみと蘭子と一緒に同じルートを辿った……前日に買った CD ショップの袋を持って。
これを何日か ─── つばさ文庫版には、Day 3 は Day 2 の『数日後』としか書かれていないので、具体的な日数は不明だが……2~3日だろうか?─── 繰り返した。
くるみは「もうやだ!」とか言って(再会のシーンでちょっと憮然とした表情を見せたのはそのせいだったりして)、蘭子は「まあまあ……」とか言ってなだめたりして……。
(……ていうか、そこまでするなら、もういっそスマホで連絡を取ったり、家を訪れたりして会えば……と思わなくもないが……行き違ってしまう可能性もあるし。あくまでも「偶然の再会」という形にこだわったのだろうか……?)
そして、Day 3。
この日も 3人はゆうが立ち寄りそうな場所を回り、最後に展望台に行って…………そこから先は、劇中で描かれた通り。
もうふたつの可能性
以上が、映画「トラペジウム」の最終盤、展望台での再会についての私の考察である。
……我ながら強引な説だとは思う。思うけど……
- ① Day 1 〜 3 って連続した 3日間 だよな
- ↓
- ② じゃあ Day 3 は CD の発売日で、日曜だよな
- ↓
- ③ 日曜に制服着てるのは変じゃね?
- ↓
- ④ じゃあ つばさ文庫版の設定に従おう
- ↓
- ⑤ ゆうが CD を買って 4人が再会したのは日曜(= CD の発売日)じゃないのか
- ↓
- ⑥ ……でも、それだと「ゆうと他の 3人が同じ日に CD を買う」確率がすげー低くなるんじゃね…?
- ↓
- ⑦ 4人が同じ日に CD を買ったのが『偶然』じゃないとすると……。
この「 前提 を確認して、生じた 疑問 を 解消 させると、新たな 疑問 が生じ……」というプロセスを重ねていくと、こういう結論になっちゃったんだもん……。
……でも、この 前提 を疑ってみると、別の可能性もいくつか考えられるかもしれない。
まず「① Day 1 〜 3 って連続した 3日間 だよな」について。
改めてこの 3日間について確認してみると、Day 1 のラストシーンは
- ゆうが自室のベランダで声を上げて泣いている
- ↓
- ゆうのノートが画面いっぱいに映る
- ↓
- (暗転)
で終わる。暗転のあとのシーンは
- 夕方、ババハウスの前でゆうが佇んでいる
で、そこからが Day 2。
Day 2 のラストシーンは
- 夜、ゆうが自室にいるとラジオから「なりたいじぶん」が流れる
- ↓
- 蘭子、くるみ、美嘉もそれぞれの場所でラジオを聴いている
- ↓
- 再びゆう。ラジオを聴きながらベランダで星空を見上げる
で終わる。その次のシーンは
- ゆうがショッピングモールのショップで CD を買っている
で、そこからが Day 3。
上の方でも書いたが、普通に観ているとこの 3日間は「連続した 3日間」だと認識するのではないかと思う(これは自分だけ……ではない、はず……)。
だが、劇中でそのように明言、明示されているわけではない。
バリアフリー音声ガイド でも、Day 1 → Day 2 の場面転換時に「(暗転)」という説明は入るが、「翌日」という言葉は使われていない。Day 2 → Day 3 の時には、特に何も説明は入らない。
(ただ、「めちゃ×2 フライデー」の放送があった Day 1 が金曜日だということ、そして、ラジオ DJ の発言から Day 2 の翌日が CD の発売日だということは間違いないだろう)
次に「④ じゃあ つばさ文庫版の設定に従おう」について。
つばさ文庫版は基本的に映画と同内容だが、いくつかの台詞が変更・修正されている。
具体例をあげると、工業祭(西テクノ高専の文化祭)での、くるみの
「私、毎年工業祭は休んでたの。」
という台詞。
この時点で 2年生のくるみが「休んでた」のは 1年生の時の工業祭だけのはずで、「『毎年』休んでた」という台詞は、よく考えるとおかしい。
(なお、この台詞は原作小説でも全く同じだが、そちらでは映画のような齟齬は生じていない。なぜなら、映画と原作小説では劇中の時間経過やイベントの発生時期が異なっており、原作小説ではこの工業祭の時点でくるみは既に 3年生に進級しているからである( 3年生なら「 1年と 2年の時の工業祭は休んでた = 『毎年』休んでた」でもおかしくはない)。原作小説から設定を変更したのに、台詞の方は変更せずにそのまま使ったことで齟齬が生じてしまっている)
だが、つばさ文庫版ではこの台詞が……
「私、去年の工業祭は休んでたの。」
に変更されている。
他にも、ゆうとテニスの試合をする前の蘭子の台詞、Day 1 の駅のホームでの女子高生 2人組の会話、などなど……。細かな変更点は数多くある。
それに、映画には登場しないシーンが(本編から逸脱しない形で)いくつか追加されていたりもする。(追加シーンはごく短いが、すごく興味深いので未読の人はぜひ読んでほしい)
つまり、つばさ文庫版の内容は基本的に映画に準拠しているが、完全に同一ではなく、一部に独自の要素、独自の解釈が見られる。
よって ─── このエントリでは つばさ文庫版の記述・設定をもとにして論を展開してきたが ─── つばさ文庫版で明示された「Day 2 は Day 1 の『翌日』」、「Day 3 は Day 2 の『数日後』」という設定も、映画と同一だとは限らない。
(つばさ文庫版の著者も、私と同じように Day 1 〜 3 が「連続した 3日間」だと曜日と服装に齟齬が生じることに気づいて、Day 3 を Day 2 の『数日後』に設定したのかもしれない)
この 2つの前提を見直してみて、2つの新たな仮説を考えついた。
まず 1つめの仮説は……
- 映画のスタッフは
『Day 1 ~ 3 は「連続した 3日間」』
『ゆうたちが CD を買ったのは発売日』
『展望台での再会は偶然だった』という想定だった。 - 発売日の曜日とか制服姿の整合性までは考えていなかった。
である。なんてこと言うの千代ちゃん
……でも真面目な話、この作品、劇中の背景にカレンダー等の「日付や曜日を示すもの」が多数 登場する割に 曜日の整合性 については結構 齟齬が見られる。
例えば、ゆうが観光ボランティアの活動を始めるために、初めて伊丹たち老人 3人組と会った日。このシーンで、3人組のひとりのガラケーの待ち受け画面には「10/12 (月)」と表示されている。
次に、年が明けて、東西南北がクイズ番組に出演するシーン。収録スタジオのホワイトボードには「1/12 (木)」と書かれている。
しかし…… ある年の 10月 12日 が月曜日なら、その翌年の 1月 12日 は木曜日ではなく火曜日である。
( 1/12 (木) の方を基準にすると、その前年の 10/12 は水曜日になる(参考リンク:曜日計算機 - instant tools ))
また、上の方 で貼った 2枚のキャプチャ画像のカレンダー。
ゆうの自室のカレンダーの方では 2月 28日 は日曜日になっており、(この年はうるう年ではなく、2月 29日 は無いので)当然 3月 1日 は月曜日になるはずである。
だが、ダイニングのカレンダーの方では(ぼやけていて はっきりとは視認しづらいが)3月 1日 が月曜日……ではないように見える(金曜か土曜だろうか?)。
……なので、「映画のスタッフは(曜日のことまでは考えてなくて)このように想定していた」という可能性は、十分考えられるかなー……と。
そして、もうひとつの仮説は……
- Day 1 は、金曜日
- Day 2(ゆうが美嘉に会いに行った日)は、その週明け(平日)
- Day 3(ゆうたちが CD を買って、4人が再会した日)は、Day 2 の翌日( = CD の発売日)
である。
Day 2 や Day 3 が平日なら、これらの日に ゆうたちが制服姿なのは何もおかしくない。
Day 3 が平日なら、この日が CD の発売日であることも不自然ではない(この点に関しては、「CD の発売日は水曜日が最も一般的」ということを考えると、Day 2 が火曜、Day 3 が水曜なのが一番自然かもしれない)。
そして、Day 3 が CD の発売日なら、ゆうが CD を買った後に、同じく CD を買った美嘉たちと展望台で『偶然』再会する確率も比較的高いと言える。
(ただ、その場合でも美嘉・くるみ・蘭子の 3人が一緒にいたのは『偶然』ではなく、やはり美嘉が「一緒に CD を買いに行こう」と声をかけたのではないだろうか。「ゆうも CD を買いに来る、きっと再会できる」という確信があったわけではなくて、「もしかしたら……」くらいの淡い期待だったのかもしれないけど)
この解釈なら、他の仮説だと生じてしまう疑問点の多くが解消される。
強いて言えば「Day 1 のあと、ゆうが美嘉に会いに行くまでに何日か空いたのはなぜ?」くらいだが、「自分」というものを見失っていたゆうが、考えを巡らせて「美嘉と会って話そう」という選択を導き出し、決心するまでにそれだけの時間を要した……というのは不思議なことではないだろう。
この仮説が、これまでの中で最も合理的な解釈なのではないだろうか。
………… じゃあ、ここまで長々と書いてきたのはなんだったんだ? と言われれば…… それはそう。
でも、これを考えついたの、このエントリを 8割方 書き上げたくらいの時だったんですよね……。
(もっと早く考えついていれば、このエントリ自体 書くことはなかったかもしれない)
( ← スクロールできます → ) | 疑問点 | ||||
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普通に観ていて認識しがちな(?)時間経過 (制作スタッフもこれを想定していた……???) |
Day 1 金曜日 |
Day 2 土曜日 |
Day 3 = CD の発売日 日曜日 |
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つばさ文庫版の時間経過 | Day 1 金曜日 |
Day 2 土曜日 |
CD の発売日 日曜日 |
Day 3 (Day 2 の「数日後」) |
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(第三案) | Day 1 金曜日 |
Day 2 (週明けの平日) |
Day 3 = CD の発売日 (Day 2 の翌日) |
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(まだ見ぬ第四案) |
さいごに
いかがでしたか?(いちどやってみたかった)
「美嘉って、ほかのメンバーに比べるとちょっとキャラが薄いよな…」なんて思ってたんだけど(彼女に関しては、原作小説からオミットされたと思しき設定やエピソードが結構あるから、その点は不遇ではある)、このエントリを書くためにいろいろ考えてみたら「美嘉は、スクリーンには映っていないところで密かに物語を支えていたのではないか……?」と、考えを新たにしました。
この他にも「美嘉・くるみ・蘭子が『方位自身』(東西南北の 2つめの持ち歌になるはずだった曲)の詞を完成させたのは、いつなのか?」とかも考えてたんだけど……流石に長くなりすぎるので、このエントリはここまでにしておきます。
(東西南北の活動末期には、3人とも「アイドル」というものに対してのモチベは下がり切ってたはずだから、この頃には完成させてないんじゃないかな……だとすると、活動休止後……しばらく経ってある程度 落ち着いたくらいの時に……いや、でも実質解散してるんだから完成させる動機が…………もしかしたら、これに関しても美嘉が……? ババハウスでゆうと再会したあと、2人に連絡して、Day 2 の夕方から Day 3 のごく短期間で急遽完成させたとか…………はっ、また長くなるところだった……。)